大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和61年(ワ)1381号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金一七七六万円及びこれに対する昭和六一年九月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実

一  当事者双方の求めた裁判

1  原告

主文第一項ないし第三項同旨。

2  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は、原告の負担とする。

二  当事者双方の主張

1  原告の請求原因

(一)  別紙事故目録記載の交通事故(以下、本件事故という。)が発生した。

(二)  原告は、右事故により、左角膜外傷、硬膜外血腫、頭蓋底骨折等の傷害を受けた。

(三)(1) 被告は、昭和五八年三月一六日、訴外上坂博文(以下訴外博文という。)との間で、事故車につき、保険期間を同月一七日から昭和六〇年四月一七日までとする自動車損害賠償責任保険契約を締結した。

(2) 訴外博文は事故車を所有していたから、同人には、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)三条により、原告に対し、同人が本件事故により蒙った後叙損害を賠償する責任がある。

(3) 原告は、被告に対し、自賠法一六条一項に基づき、原告の後叙損害の内自賠法施行令二条一項二号ハ別表による自賠責保険金一七七六万円の範囲内で、損害賠償額の支払請求をすることができる。

(四)  原告の本件後遺障害の残存及びその内容

(1) 原告の本件受傷は、昭和六〇年三月一日、症状固定した。

(2) その結果、原告には、次の後遺障害が残存している。

(イ) 眼球の障害(視力)

左 裸眼 〇・〇三、矯正不能。

右 裸眼 〇・〇五、矯正〇・〇六。

(ロ) 顔面醜状。

(ハ) 中枢性嗅覚脱失。

(ニ) 左声帯運動制限による嗄声、瞼の運動障害

(3) 原告の右後遺障害の内容と自賠法施行令別表障害等級との関係は、次のとおりである。

(イ) 四級、(ロ) 七級、(ハ)(ニ) 各一二級。

これ等を包括して、結局二級に該当。

よって、自賠責保険の支払限度額は、金一七七六万円となる。

(五)  原告の本件損害

(1) 本件後遺障害による逸失利益

金三九〇九万四〇一二円

原告は、昭和三九年一二月二〇日生(本件症状固定時二〇才)の女子であるが、本件症状固定時における平均給与額は、金一三万六七〇〇円であり、同人の労働能力喪失率は一〇〇パーセント、その就労可能年数は六七才までの四七年である。

右各事実を基礎として、原告の本件後遺障害に基づく逸失利益の現価額をホフマン式計算方法により算定すると、金三九〇九万四〇一二円となる。(新ホフマン係数は、二三・八三二。)

13万6700円×12×23832=3909万4012円

(2) 慰謝料 金九〇〇万円

(六)  よって、原告は、本訴により、被告に対し、本件保険金金一七七六万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和六一年九月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する被告の答弁及び主張

(一)  答弁

請求原因(一)の事実は認める。同(二)の事実は不知。同(三)(1)の事実は認める。同(2)中訴外博文が事故車の所有者であったことは認めるが、同(2)のその余の事実及び主張は争う。同(3)の事実及び主張は争う。同(四)の各事実及び主張は全て争う。同(五)の事実は全て不知。同(六)の主張は争う。

(二)  主張

(1)(イ) 事故車は、原告も利用できるものとして、第一次的には原告が利用する車輌として第二次的にはファミリーカーとして購入されたものである。

したがって、右車輌は、所有権者としての訴外博文と主たる使用権者としての原告が共同保有していたものである。

(ロ) 事故車が本件事故当日運行に使用されたのは、原告と訴外塚本明美のドライブという共同の楽しみのためであった。しかして、原告が右車輌を持ち出せたのは、同人がその母訴外上坂鉄子に対し右車輌の鍵を借して欲しい旨頼み、乗車距離も短距離である旨説明し、右鉄子をして一〇〇メートル程度の乗車であろうと思わすことに成功したからである。原告の右働きがなければ、右車輌をドライブに持ち出すことはできなかった。一方、原告とともに右ドライブに出かけた訴外塚本明美は、右鉄子とそれ以前に一度会った位であり、右車輌の運転を開始する前原告がどのようにして右車輌の鍵を調達して来たかを知らなかった。

右車輌を乗り出してから本件事故発生までの間、右塚本が右車輌を運転していたが、右車輌の進路は、右車輌の助手席に同乗していた原告によって決定指示された。即ち、右車輌で六甲山へ行こうといい出したのは原告であるし、右塚本は、六甲山への道順を知らず、ただ原告の具体的指示による道案内にしたがって右車輌の運転をしていたに過ぎない。

(ハ) 右主張事実から明らかなとおり、原告は、本件事故当日、事故車の所有者である訴外博文から同人の代理人である母鉄子を介して、事故車を自己のドライブのために自分で調達して来たのであって、右車輌に対する主たる使用権者としての支配権能を有すると同時に右車輌の所有者訴外博文に由来する支配権能をも備えていたというべきである。しかも、本件事故直前の運行状況からしても、原告が右車輌の運行支配を有していたというべく、右運行支配は、訴外博文に比べて直接的・顕在的・具体的であったというべきである。

よって、本件において、原告は、自賠法三条所定の「他人」には該当せず、同人は、被告に対し、本訴で主張する保険金請求権を有しない。

(2) 仮に、被告の右主張が認められないとするならば、被告は、原告の主張する本件後遺障害につき、次のとおり主張する。

原告の主張する眼球の障害(視神経萎縮に基づく視力低下)は、同人に本件事故以前から存在した幼児期の視神経炎から進行した視神経萎縮に基づくものであって、本件事故との間に相当因果関係はない。就中外傷による視神経萎縮の進行は、傷害を受けた偏眼に限局されるのが普通であるところ、原告の本件事故による傷病は、左非穿孔性角膜外傷、左動眼神経麻痺、左上眼瞼痕であって、傷害は左眼に限られている。したがって、仮に本件事故が原告の視力低下の原因だとするならば、視力低下は、原告が傷害を受けた左眼だけに生じるはずである。これに対して、原告の視神経障害は、左右両眼に認められるのであり、原告の左右両眼の視力低下は、原告の疾患である既存障害に起因すると考えざるを得ない。

3  被告の主張に対する原告の反論

(1) 被告の主張中事故車の所有者が訴外博文であること、事故車が本件事故当日訴外塚本明美と原告がドライブに行くため運転されたこと、原告が右ドライブに出発する直前その母訴外上坂鉄子から右車輌の鍵を借り受けたこと、本件事故発生当時右塚本が右車輌を運転していて、原告は右車輌の助手席に同乗していたこと、右車輌が原告宅を出発して本件事故発生までの間、原告が道案内をしていたことは認めるが、その余の主張事実は全て否認し、その主張は争う。

事故車は原告の専用ではなく、同人が右車輌を利用できるのは、同人が運転免許を取得してから後であった。原告は本件事故当時仮免許を取得したのみであったから、訴外博文は原告に対し、右車輌の使用を一般的に許可していなかった。原告は、訴外博文から、右運転免許取得後に原告の姉訴外上坂加津子と相互に右車輌を使用しても良いとの許可を与えられていたに過ぎない。右車輌の鍵は、常時右車輌の所有者である訴外博文により、同人不在の時は同人の妻(原告の母)訴外上坂鉄子によって保管されていた。このような事実関係から明らかなとおり原告は本件事故当時右車輌に対する運行支配を全く有していなかった。右車輌に対する運行支配は、専ら訴外博文に帰属しており、同人不在時における運行支配は、右鉄子を通じて貫徹されていた。即ち、右車輌の保有者の地位は、訴外博文にあって、原告にはなく、同人には、被告が主張するような右車輌の共同保有者たる地位は全くなかった。

原告が、本件事故当日、訴外博文より右車輌の鍵の管理を委ねられていた母鉄子から右鍵を借り出したのは事実であるが、原告は、その際、右鉄子に対し、訴外塚本明美が事故車を運転するということで借り出したのであり、右鉄子も又、原告の友人である右塚本明美が運転免許を有し同人が右車輌を運転することを明確に認容して原告に右鍵を貸与した。更に、事故車が原告宅を出発して本件事故が発生するまでの間右塚本が右車輌を現実に運転し、原告は、ただ右車輌の助手席に同乗していたに過ぎない。しかも、右出発時から、右車輌を運転するのは右塚本明美と決められていた。このような事実関係に基づけば、右車輌の運行支配の委託が、訴外博文から同人の妻鉄子へ、右鉄子から右塚本へと順次行われたというのが至当である。確かに外観上の事実として、原告の右車輌の鍵の借り出しという行為があったが、実質的には、訴外博文からその妻鉄子を介して行われた、右塚本への右車輌の貸与であり、右車輌の運行支配は、右貸与を通じて右塚本明美へ移転した。原告は、本件事故当時、右車輌の運転ができず、現に運転しておらず、単なる同乗者に過ぎなかった。右車輌が原告宅を出発し本件事故発生までの間原告が右塚本明美にした道案内も同乗者としての域にとどまり、これを越えた右塚本に対する命令の如き直接右車輌の運行を支配する程度のものでもなかった。原告は、この関係でも右車輌に対する運行支配を有しなかった。

よって、原告はいかなる意味でも自賠法三条所定の他人に該当し、これに反する被告の主張は、全て失当である。

(2) 被告の本件後遺障害に関する主張も、全て争う。

本件において、原告は、本件事故直前まで、勤務を含め通常の日常生活を送っており、就中、運転免許を取得するに何等支障とならない視力を有していた。原告の視神経萎縮は、本件事故前における神戸海星病院における治療経過から見ると軽度であり、外的原因さえなければ固定した視力障害を引き起すようなものでなかった。原告の本件事故による傷害は同人の左前頭部の強打により発生したが、右受傷部位からすれば、最も同人に外傷性神経障害を引き起しやすく、又、右傷害の程度からしても、同人に外傷性視神経障害を引き起した可能性が強い。更に、原告は、本件事故後約一か月して視力を測定した時点で最早失明に近い状態に陥入っていた。

右各事実に基づけば、原告の本件視力障害は、本件事故による傷害により発生した高度の蓋然性があり、したがって本件事故と原告の本件視力障害との間には相当因果関係ありというべきである。

よって、原告の本件後遺障害は、前叙主張のとおり包括してその障害等級二級に該当するものである。

三  証拠関係〈省略〉

理由

一1  請求原因(一)の事実(本件事故の発生)、同(三)(1)の事実(被告と訴外博文間における原告車に関する自動車損害賠償責任保険契約の締結)、同(2)中訴外博文が事故車の所有者であったことは、当事者間に争いがない。

2  被告は、事故車が購入された目的、右車輌が本件事故当日原告宅から本件事故現場まで運転された経緯、状況等に基づき、原告自身が訴外博文と同じく右車輌に対する運行支配を有していたから、原告は、自賠法三条所定の他人に該当しない旨主張する。

よって、被告の右主張について判断する。

(一)  被告の主張事実中、事故車の所有者が訴外博文であったこと、事故車が本件事故当日訴外塚本明美と原告がドライブに行くため運転されたこと、原告が右ドライブに出発する直前その母訴外上坂鉄子から右車輌の鍵を借り受けたこと、本件事故発生当時右塚本が右車輌を運転していて、原告は右車輌の助手席に同乗していたこと、右車輌が原告宅を出発して本件事故発生までの間、原告が道案内をしたことは、当事者間に争いがない。

(二)  被告は、先ず、原告が事故車の主たる使用権者であった旨主張するところ、原告の右使用権取得の法的根拠に関する主張は、必ずしも明確でないが、被告のこの点に関する全主張により忖度すれば、その主張せんとするところは、訴外博文の事故車使用についての一般的許可の存在(〈証拠〉によれば、原告が本件事故当時一八才の未成年者であったことが認められる。)にあると解される。

しかしながら、右主張事実は、これを認めるに足りる証拠がない。

成程、〈証拠〉には、事故車は原告が免許を取ったら運転するため父から買ってもらった自分の車である旨の、〈証拠〉には、事故車は原告がもう少しで免許が取れるということで訴外博文に買ってもらったそうである旨の、各記載があるが、右各記載のみから直ちに右主張事実を肯認することはできない。

(三)  かえって、〈証拠〉を総合すると、事故車は、訴外博文において、昭和五八年二月中旬頃購入した車輌であるが、訴外博文は、同人の家族(ただし、同人の妻鉄子は運転免許を取得していないので除かれる。)の誰の使用車輌と限定せず、運転免許を有する者(本件事故当時右家族中で運転免許を有していた者は、訴外博文と原告の姉訴外上坂加津子の二名であった。)が運転使用する目的で右車輌を購入したこと、原告は、右車輌が購入された当時、訴外三田自動車学院において運転免許取得教習中の学科教習を全て終了(昭和五八年二月四日)し技能教習へ進んでいたこと(なお、右技能教習は同年四月二六日に終了。)、訴外博文は、原告が右車輌を運転するのは同人が運転免許を取得した後としていたこと、右車輌は、訴外博文宅(原告は、ここに同居していた。以下単に原告宅という。)ガレージに入れられ、右車輌のガソリン代はじめその維持費は、全て訴外博文によって負担されていたこと、右車輌の鍵は、常時原告宅の小型据付式金庫(同金庫の開扉は、訴外博文か同人の妻鉄子しかできない。)内に収納されていて、訴外博文の指示により右鉄子がこれを保管していたこと、そして、訴外博文が右車輌を使用するときは同人が、原告の姉加津子が右車輌を使用するときは右鉄子が、それぞれ右金庫の扉を開いて右鍵を取出し、右車輌を使用していたこと、訴外博文が、本件事故前、原告が仮免許を取得したので一度だけ同人の運転訓練のため、訴外博文が助手席に同乗して原告に右車輌を運転させたことがあったことが認められ、右認定各事実に照らしても、被告の右主張事実は、これを肯認できない。

むしろ、右認定各事実に基づけば、訴外博文は事故車の購入後本件事故時までの間原告に対し右車輌の自由な使用を一般的に許可しておらず、したがって、原告は右期間右車輌の主たる使用権者たる地位を有しなかったというのが相当である。

(四)  被告は、更に、原告が本件事故日右鉄子に働きかけて事故車の鍵を同人から借り出し原告宅から右車輌を乗り出し、右乗り出し時から右事故発生までの間右車輌の助手席から右車輌を運転する訴外塚本明美に対し道案内をしたことをもって、原告が右事故発生当時右車輌の所有者訴外博文に由来する右車輌の支配権能を有し、かつ、右車輌の運行支配をも有していた旨主張する。

(1) 被告の右主張事実は、前叙のとおり当事者間に争いがない。

しかしながら、右当事者間に争いのない事実のみから直ちに被告の右主張を容認することはできない。

その理由は、次のとおりである。

即ち、

(2)(イ) 〈証拠〉を総合すれば、原告と訴外塚本明美とは、同じ頃前叙三田自動車学院へ通っていて知り合い、右塚本が、本件事故前一度原告宅に遊びに赴き一泊したことがあったこと、右塚本が、右事故の一週間前頃、原告から、電話で、もう一度泊りに来ないか、自分の家に新車があるので右塚本の運転でドライブに行こうと誘われたこと、右塚本が、原告の右誘いに応じ、本件事故日に原告と落ち合い、連れ立って原告宅に赴いたこと、原告が、その母鉄子に対し、右塚本が運転免許を取得したので一寸とそこまで運転したい、事故車の鍵を借して欲しい旨申向けたこと、右鉄子は、事故を案じ、原告に対し、時間が遅いから中止するようとめたが、原告から重ねて、右塚本が運転したいといっている旨申向けられ、その情にほだされ、前叙金庫から右車輌の鍵を取り出し、原告に手渡したこと、右鉄子は、右塚本から挨拶を受けた際、右塚本の態度が真面目そうであったこともあって、原告に右鍵を手渡したこと、原告は、右鉄子から受取った右鍵を持って、原告宅庭にあった右車輌の所に赴き、既に右車輌の傍で待っていた右塚本に右鍵を手渡したこと、右鉄子が、原告の後から右車輌の傍まで来たこと、原告は右車輌の助手席へ、右塚本は右車輌の運転席へ、ほぼ同時に乗車したこと、塚本が、原告から受取った右鍵で右車輌のエンジンを始動させたこと、右鉄子が、右車輌の傍で、この経緯を見ていたこと、右塚本が、右エンジン始動後右車輌を運転して原告宅庭から門を通り右庭外の路上へ出たこと、右鉄子は、右車輌が動き出す際、右車輌の右両名に向い、気を付けて早く帰って来るよう注意し、右車輌が門外に出るまで暫く右車輌を見送っていたこと、右車輌が右路上に出て本件事故が発生するまでの間、原告は道案内をしたものの、右塚本の行っている右車輌の運転につき何等指示したことはなく、右車輌の運転操作は、右塚本自身の判断によって行われたことが認められ、前叙当事者間に争いのない事実に右認定各事実を加えて認められる一連の全事実関係に照らせば、被告の右主張は、にわかにこれを容認することができない。

むしろ、右一連の全事実関係に基づけば、原告には、本件事故当時、被告が主張する運行支配を有しなかったというのが相当である。

(ロ) 更にこの点を詳論すれば、前叙認定にかかる事故車購入の目的、右車輌の日常における管理維持状況、その利用状況、右認定にかかる右車輌の乗り出しから本件事故発生までの経緯、その間における右車輌の運転状況及び原告の果した役割等に、前叙当事者間に争いのない右車輌の所有者は訴外博文であって、同人が被告と本件自動車損害賠償責任保険契約を締結していたことを総合すると、本件事故当時、事故車についての具体的運行支配運行利益は、右車輌が原告宅から乗り出され本件事故発生までの個別的具体的運行を越えて、なお全て訴外博文に帰属していたというのが相当であり、したがって、原告は、右事故当時、いかなる意味においても右車輌の運行供用者ということはできず、自賠法三条所定の他人に該当するというのが相当である。

右説示に反する被告の主張は、当裁判所の採用するところではない。

3(一)  右認定説示に基づけば、訴外博文には、原告に対し、自賠法三条により、同人が本件事故により蒙った本件損害を賠償する責任があるというべきである。

(二)  そうすると、原告は、被告に対し、自賠法一六条一項に基づき、原告の本件損害の内自賠法施行令二条一項に定める自賠責保険金の範囲内で損害賠償額の支払請求をすることができるというべきである。

二  そこで、原告の本件損害について判断する。

1  〈証拠〉を総合すると、次の各事実が認められ、その認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一)  原告は、本件事故により、左前頭部(眉間付近)挫創、同部骨折、左硬膜外血腫、等の傷害を受けた。

(二)  原告の右受傷は、昭和六〇年三月一日症状固定した。

(三)(1) 原告には、右症状固定後、次の後遺障害が残存した。

(イ) 眼球の障害(視力)

左裸眼 〇・〇三、矯正 不能。

右裸眼 〇・〇五、矯正 〇・〇六。

(ロ) 顔面醜状

左上眼瞼、前額部に五センチメートル以上の線状瘢痕。

(ハ) 嗅覚脱失。

(ニ) 左声帯の運動麻痺による嗄声、左上眼瞼挙筋の運動障害と眼輪筋の機能不全。

(2) 原告の右各後遺障害内容と障害等級との関係は、次のとおりである。

(イ) 四級。(ロ) 七級。(ハ)、(ニ) 各一二級

(3) 右認定に基づくと、原告の本件後遺障害の該当障害等級は、自賠法施行令二条一項二号ハ所定の併合による繰り上げにより二級該当ということになる。

2  ところで、被告は、原告の本件各後遺障害の内眼球の障害(視力)につき既往症の存在を主張して右後遺障害と本件事故との間の相当因果関係の存在を争っている。

よって、被告の右主張について判断する。

(一)  確かに、〈証拠〉によれば、原告は、一〇才当時の昭和四八年一〇月二四日、神戸海星病院において、両球後視神経炎の診断を受け、昭和四九年五月一三日まで治療を受けたこと、原告が、昭和五四年二月五日、右病院で再診を受け、その際行われた神戸大学医学部眼科諫山教授の対診の結果慢性型球後視神経炎の診断を受け、右病名の下で治療(同年二月一〇日から同年四月四日まで入院)を受けたこと、原告は、右退院後、二週間に一度の割合で通院治療を受けたが、その後二か月に一度、一年に一度の割合による通院治療に変わったこと、原告の右病院における最終受診は、昭和五七年三月三一日であること、医師白木かほるが、原告の本件各後遺障害の内視力障害につき、当裁判所の照会に対し、原告に視神経炎後の両視神経萎縮の既存を認め、同人の現在の視力低下が本件事故によるものか幼児期の視神経炎後の視力低下か不明と回答していることが認められ、右認定各事実に照らせば、被告の右主張が肯認されるのかの如くである。

(二)(1) しかしながら、〈証拠〉を総合すると、次の各事実が認められる。

(イ) 原告が昭和四八年一〇月二四日から昭和五七年三月三一日まで神戸海星病院において両球後視神経炎の病名で治療を受けたことは前叙認定のとおりである。

しかして、原告の右治療期間中における視力を含む症状は、次のとおりであった。

(a) 初診時の視力右〇・二(矯正不能)、左〇・二p(矯正不能)。

前眼部 中間透光体は異常なし。

眼底では乳頭の境界鮮明、縦長楕円形、耳側にやや蒼白を呈する他に所見なし。

視野 中心暗点を認めるが周辺視野は正常。

(b) 昭和四八年一二月一九日における視力

右〇・九、左〇・五。

(c) 同年三月二八日における視力

右一・〇、左〇・七。

眼底所見に乳頭蒼白の他に著変なし。

(d) 昭和五四年二月一〇日における視力

右〇・四(矯正不能)、左〇・四(矯正不能)。

(e) 同年四月四日における視力

右〇・九、左一・〇。

(f) 昭和五六年一二月一七日における視力

右矯正〇・九、左矯正一・〇。

眼底乳頭やや蒼白。

(g) 昭和五七年三月三一日における視力

右矯正一・〇、左矯正〇・九

視野は正常、中心暗点は認めず。

(ロ) 原告は、昭和五五年四月から昭和五八年三月まで、兵庫県立吉川高等学校に在学したところ、同人の右在学中における視力検査の成績は、次のとおりであった。

昭和五五年四月二四日 右一・二、左〇・九。

同五六年四月九日 右〇・二、左〇・二。

同五七年四月九日 右〇・四、左〇・三。

(ハ) 原告は、昭和五八年一月二四日、前叙三田自動車学院において適性検査として視力検査を受けたが、その検査成績は次のとおりであった。

裸眼 右〇・四、左〇・二、両眼〇・五。

矯正 右〇・七、左〇・五、両眼〇・八。

(ニ) 原告は、昭和五六年四月、前叙高等学校二学年頃から眼鏡を掛けるようになったが、右眼鏡で矯正すれば日常生活に支障はなく、右状態は、本件事故直前まで続いていた。

原告には、本件事故以前、眼部は勿論前頭部に外傷を受けたことや眼部に悪性腫瘍等が発生し治療を受けたことが全くない。

(ホ) 原告は、本件事故直後、西宮市武庫川町所在兵庫医科大学病院へ緊急搬入され入院したが、前叙受傷内容のため右病院救急部の特別集中治療室で頭部外傷頭部骨折等に対する緊急治療が行われた。

右の如き治療経過から、原告が右病院眼科医師白木かほる(以下、白木医師という。)の眼科診療を受けたのは、昭和五八年五月一九日(本件事故から一二日後)であった。

白木医師は、右初診時、原告が脳外科手術を受けた後脳圧亢進を防ぐための薬を服用し引き続き前叙集中治療室において絶対安静の状態に置かれていたので、自ら右集中治療室に赴き、原告の診察をした。

右医師の初診時の診断は、次のとおりであった。

左眼球結膜の浮腫と球結膜下出血及び角膜の中央に角膜の浮腫と潰瘍。

右眼については、特に治療の必要なし。

なお、眼科医の患者に対する診察は、本来暗室において行うのであるが、原告の場合は、前叙事情から右集中治療室で診断が行われたため明室における診察となり、白木医師は、原告の眼底検査等を十分に行うことができなかった。

その関連で、白木医師は、眼底検査結果につき、左眼(ただし、左眼については同眼中央部の角膜潰瘍の存在も支障となった。)右眼とも、不明とせざるを得なかった。

又、原告は、当時未だ右薬物による睡眠状態にあったため、白木医師において、原告に対し、問診は勿論、視力についての自覚的検査を行うこともできなかった。

白木医師は、前掲昭和六三年二月一七日付当裁判所に対する回答書(甲第一〇号証)を、右初診時における資料に基づいて作成した。

(ヘ) 白木医師は、その後、原告の眼部疾患に対し、右症状に適応する治療を実施し、同年六月一〇日、原告を右病院眼科診察室へ来室させ診察し、この時初めて眼底検査の結果を得、左右両眼の眼底に視神経萎縮の存在(視神経乳頭は蒼白)を認めた。

なお、右時点における原告の視力は、右〇・〇六(矯正不能)、左〇・〇一(矯正不能)であった。

白木医師は、同年一一月九日から、原告の視神経萎縮に対する治療を始めた。

(ト) 白木医師の視神経萎縮に関する所見は、次のとおりである。

(a) 視神経萎縮とは、検眼鏡的観察による診断名であり、眼科医が検眼鏡で患者の眼底を検査し、当該患者の視神経の色彩が白っぽくなっている場合視神経萎縮と一応診断するのであり、これと当該患者の視力とは必ずしも結び付くものでなく、右診断名が存在しても、必ずしも当該患者の視力障害とつながるものではない。したがって、視神経萎縮と診断された場合、通常当該患者の視力低下を伴なう場合が多いが、通常の視力を維持する患者も存在する。

(b) 視神経萎縮の定義は、画一的に統一されておらず、球後視神経炎(眼底の視神経乳頭等眼底に異常はないが、視力の低下、中心暗点の存在、視野の変化等の症状を呈する場合の病名。)であっても、その後、眼底検査の結果、視神経の色彩が軽度の蒼白になると、その時点で、視神経萎縮と診断する医師もあるし、慢性型球後視神経炎と診断する医師もある。

したがって、原告の前叙神戸海星病院における慢性型球後視神経炎という診断も、右事情に基づくものと思われる。

(c) 原告の昭和五八年六月一〇日当時の眼底検査結果による前叙視神経萎縮の程度からすると、同じく行われた視力検査による前叙結果と同程度の視力となる。

しかして、原告の視神経萎縮の右程度は、同人の本件事故前に存在した軽度の視神経萎縮が右事故による前叙内容の受傷により生じた可能性がある。

(d) 原告の右受傷内容(就中左前頭部骨折)からすると、外傷性視神経障害を発生する率が最も多く、その場合、衝撃の反衝作用によって視交叉個所で交叉している、同人の右眼の神経線維の一部にも浮腫とか出血とかが発生し外傷性神経障害を発生させる可能性がある。

(2) ところで、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。(最高裁昭和五〇年一〇月二四日第二小法廷判決民集第二九巻第九号一四一七頁参照。)

(3) これを本件について見るに、前叙二2(二)において認定した、原告の既往症の治療経過及びその治療効果、原告の視力の変遷、同人が日常生活で視力につき支障がなかった点、その期間、特に本件事故直前の生活状況、視神経萎縮に関する白木医師の所見、同所見における原告の本件受傷と同人の本件視力障害との関係等の全事実を総合すると、本件事故と原告の本件各後遺障害、就中被告が特に争う視力障害との間の、右説示にかかる相当因果関係の存在を肯認し得る高度の蓋然性ありというのが相当である。

前叙二2(一)に掲記した各証拠及びこれ等から認め得る事実は、未だ右認定説示を左右するに至らない。

よって、被告のこの点に関する主張は、理由がなく採用できない。

3  かくして、原告が被告に対し請求し得る本件保険金額の限度額は、前叙政令の同一条項号に基づき金一七七六万円となる。

4  原告の本件損害額は、次のとおりである。

(一)  本件後遺障害による逸失利益

金三五九六万六四九二円

(1) 原告の本件各後遺障害の存在、内容、その該当障害等級等は、前叙認定のとおりである。

(2) 〈証拠〉を総合すると、原告は昭和三九年一二月二〇日生の女子で、昭和五八年三月、前叙兵庫県立吉川高等学校を卒業し、本件事故当時、三田市三田駅前所在訴外株式会社スギオに勤務し衣料販売関係の業務に就いていたこと、原告は本件症状固定時二〇才であったことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3) 原告は、本件症状固定時において、少くとも賃金センサス昭和六〇年第一巻第一表産業計企業規模計女子労働者学歴計二〇才から二四才に認められる平均給与月額の収入を得ていたものと推認し得るところ、右金額は、原告主張にかかる金一三万六七〇〇円と認めるのが相当である。

(4) 原告が本件各後遺障害によりその労働能力を喪失し就労できず、そのため現に経済的損失、即ち損害を受けていると推認し得るところ、同人の右労働能力の喪失率は、右各後遺障害の内最も重い視力障害を基準とし、右認定事実に所謂労働能力喪失率表を参酌して、九二パーセントと認めるのが相当である。

(5) 更に、原告の就労可能年数は、六七才までの四七年と認めるのが相当である。

(6) 右認定の各事実を基礎として、ホフマン式計算方法により原告の本件後遺障害に基づく逸失利益の現価額を算定すると、金三五九六万六四九二円となる。(ただし、新ホフマン係数は、二三・八三二。円未満四捨五入。以下同じ。)

(13万6700円×12)×0.92×23.832=(約)3596万6492円

(二)  慰謝料 金七〇〇万円

原告の本件各後遺障害の存在、その内容、該当障害等級については、前叙認定のとおりである。

右認定事実に基づけば、原告の本件後遺障害分慰謝料は、金七〇〇万円と認めるのが相当である。

右(一)、(二)の合計額は、金四二九六万六四九二円となる。

5  ところで、原告の本件後遺障害の内最も障害等級の重い視力障害につき本件事故前の既往症である視神経萎縮が寄与していることは前叙認定から明らかであるところ、損害の公平な分担という理念からすれば、原告の本件損害額を算定するに当り右既往症の寄与を斟酌するのが相当である。

しかして、本件においては、前叙認定にかかる右既往症の本件事故前における発症程度等から見て、右寄与の割合は、原告の本件損害に対する三〇パーセント、と認めるのが相当である。

そこで、前叙認定にかかる原告の本件損害額金四二九六万六四九二円を右寄与の割合に基づいて算定すると、原告の本件損害額は、金三〇〇七万六五四四円となる。

4296万6492円×0.7=(約)3007万6544円

三  原告が被告に請求し得る本件保険金の限度額が金一七七六万円であることは前叙認定のとおりであるところ、右金一七七六万円が原告の本件損害金三〇〇七万六五四四円を越えてないことは、右金額の比較から明らかである。

しからば、原告は、被告に対し、本件保険金の支払限度額金一七七六万円全額の支払を請求し得るというべきである。

四1  叙上の全認定説示に基づき、原告は、被告に対し、本件保険金金一七七六万円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが本件記録から明らかな昭和六一年九月一九日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める権利を有するというべきである。

2  よって、原告の本訴請求は、全て理由があるから、これを全て認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 鳥飼英助)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例